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「加藤シゲアキさんと映画」について書きとめていくブログです

映画『ピンクとグレー』のヒットとロングランを願う

映画『ピンクとグレー』が公開されて早一週間半。初週の動員数、興行収入も公開館数を考えるとヒットと言って良い数字です。
理由は後述しますが、このままもっとヒットを続けてロングランとなって欲しい。そしてこれを良い宣伝として小説を手に取ってくださるかたがもっと増えると嬉しい。
公開から一週間半、初鑑賞(釜山国際映画祭)から3か月半経った今は、それがもっとも強く思うことです。

この映画について自分が持っている感想は大きく3つあります。
1、自分がもっとも好きな加藤シゲアキという人の書いた処女小説の映画化という前提のもと、映画と原作の違いについて思うこと
2、すばらしいキャストに恵まれ大変ありがたいということ
3、常日頃から映画を観る趣味のある者としての映画評(このウェイトが一番重いのでこの話はまた別記事にします)


まずはこの映画を多くの人に観てほしいという内容のエントリーにしたいので、この映画でもっとも評価に値すると思っている「2」キャストがすばらしいという点についてから書いていきます。(ネタバレはしていないつもりです)

●「2」すばらしいキャストに恵まれ大変ありがたいということ
この作品、どこを見回してもドラマ的に見えてしまうキャストがいないんですよね。それがとてもいい。
映画として冷めてしまう瞬間が一度もないというのは、こういった中規模作品の邦画にしてはめずらしいことじゃないでしょうか。

まず何よりこの作品の顔である中島裕翔さん。映画初出演であり初主演である中島裕翔さんの面構え、演技、すべてが「映画」というフィールドになじんでいる。
小さな子どもの頃からドラマに出ておられるので演技をしているのは何度も見ているのですが、ここまで映画的な佇まいをたたえる人だとは思っていませんでした。想像はしていたんですが、実際にスクリーンで観てみると圧倒された、というほうが正しいかもしれません。

何より中島裕翔さんは『ピンクとグレー』という世界観――あくまでそれは私が小説を読んで自分の頭の中で勝手に作り上げた世界観ですが――に空気がぴったりと合っていた。
「透明感がある」「ピュアでクリア」「あざとさがない」「瑞々しい」「真面目で誠実でピュア」とは、原作者の加藤シゲアキさんが中島裕翔さんのことを評した言葉ですが、私も小説『ピンクとグレー』を読んだとき、それと同じことを思っていました。
ピュアでクリアだけではない感情も描いている物語ですが、嫉妬や憎悪などもひっくるめて、この小説を読んで「この人には世界が美しく見えているのかもしれない」「この作家は性善説の人間なのでは?」と強く感じたのです。
小説から感じたその高潔な清廉さを、中島裕翔さんは過不足なく備えていて、それが演技を通して溢れ出ている。スクリーンを観ながらそう思いました。
この事務所で紆余曲折ありながら成長してきたという中島裕翔さんのバックボーンももちろんですが、それだけでなく本来彼の持ち合わせている性質が、この映画を私の想像する方向性へと強く引っ張っていっていると感じています。
『ピンクとグレー』を『ピンクとグレー』たらしめているのは、脚本でも演出でもなく、中島裕翔だと。

オイシイ役どころである助演の菅田さんと夏帆さんに対して、「受け身」の芝居を要求されている中島裕翔さん。
ですが、「ピュアでクリアな」魅力でもって観客の目を主演に引き寄せ続けた。
そして純粋に、美しく、演技も上手い。
加藤さんが小説『ピンクとグレー』を書いたのは約6週間。最初は拙かった文章も後半にいくにつれ一作の中で筆力が増していくのが手に取るように良く分かる作品です。
この映画の撮影期間は約3週間。そう思うと、主演が時おり見せる初々しく瑞々しいぎこちなささえ、「『ピンクとグレー』らしい」と思えてきます。


その主演と対をなす相手に菅田将暉さんを据えるというこのキャスティング力!
映画初出演で映画俳優としてはまだ何の色もついていないまっさら真っ白な中島裕翔さんと、現場ごとに未だかつて見たことのない色に瞬時に自分を塗り替えられる菅田将暉さんのコンビネーションこそ、この映画の白眉と言えるのではないでしょうか。
小説にある程度準拠している前半は、タイトルの通り、赤と黒(ルージュ・ノワール)に白を足した曖昧なピンクとグレー色の二人。後半は、薄い薄いグレーの中島裕翔さんに菅田さんが極彩色のペンキをぶっかけ続けているようなイメージでした。

二人が現実世界で非常に親交を深め、プライベートを共にし、撮影の合間にも背中合わせでギターを弾いたり歌をうたったりしていたなんていう話を聞くにつけ、映画前半・後半・オフスクリーンとピングレ世界が広がっていくのを感じます。
初めてこの映画を観たときに「現実と虚構の境目が曖昧になって混乱する。それが心地よかった」と感想を残したのですが、それは映画世界の中のことを言ったのではなく、オフスクリーンも含めてのことでした。
これこそ原作者の目指したメタの最たるものだなと、その世界の広がり方に驚いています。
それを、アイドルではなく原作未読の菅田さんがぐっと広げてくださっていることも、想像を超えた世界でとてもおもしろい。
原作にはない展開を見せる後半の菅田さんの演技に魅了され続けて心から消えていきません。物語の展開や設定や出来事自体はさておき、あの菅田さんには心を奪われています。


そして誰がなんと言っても柳楽優弥さんの説得力と言ったら。
セリフを一言発した瞬間に、ああこれだ、この人だ、私の想像していたこのキャラクターはこの人だ、とあまりにも深く納得しました。
顔立ち、スタイルともに自分のイメージとは違うのですが、そんなことはどうでもいいくらい、この話し方、この微笑み方、この声! ものの数秒で見事に説得させられ尽くしました。
できることなら、スーツを着ているときだけでない柳楽さんと中島裕翔さんのシーンがもう少し観たかった。きっとそれは意図的に少なくしているのだろうなとは思いつつもなお、もう少し想像をさせて欲しかったなんて願ってしまいます。柳楽さんがあまりにも「そのもの」でいてくれたから。


夏帆さんもなるほど夏帆さんをキャスティングする意味があると膝を打つものでしたし、メインキャスト4人が各々適切で、そしてそれらが絡み合った瞬間に個の魅力・力量をさらに超えたものを見せてくれるのです。
「映画はキャスティングが8割」という言説は良く映画監督から聞かれますが、この映画はまさにその通りだと思います。
62分後の衝撃とか、仕掛けとか、ではなく、キャストの力が大きい。もちろんそれを演出した監督の功績ですが、キャストの力には圧倒されるばかりです。



●「1」映画と原作の違いについて思うこと
個人的に思うこととしましては、やはりこういう形の映画として公開になったからには、ヒットして欲しいということです。

監督が行定さんだと発表されてから、過去作をすべて見ました。
『ピンクとグレー』を入れて長編作で19本。だいたい年1ペースですね。『ピンクとグレー』の撮影期間が3週間しかなかったのは監督が多忙だから、とは主演の中島裕翔さんが教えてくださったことですが、多作な方ですよね。原作付き作品も多く手がけられています。

『ひまわり』や、原作付きヒット作の『世界の中心で、愛をさけぶ』など、監督の作品の根底には「残された者/遺された者の物語」という部分があります。人の死そのものを描くということではなく、人の死を、遺された者が受け入れるまでの物語。
なので行定監督が「遺された側であるりばちゃんの物語」を膨らませることは、当然だったのかもしれません。

初めてこの映画を観たとき、なぜ時制をバラバラにして構成するというこんなにも映画的な作りをしている小説をあえて読み替えて再構築したのだろうと不思議に思いました。嫌だとかそういうことではまったくなく、純粋に不思議だった。
執筆時には原作者が未見だった『ブラック・スワン』に似すぎてしまうからだろうか(ただでさえ、『ピンクとグレー』の参考にした映画『パーフェクトブルー』を、『ブラック・スワン』も明言を避けているけれど元ネタにしているわけだし)、
時制を交互に見せる映画が原作発表時よりもさらに増えてきていて時代遅れに感じるのだろうか、と。

その件に関して、監督はこう仰っています。

「(原作小説は)彼自身のメタフィクション的な感じもある。(中略)その鮮烈さは、加藤シゲアキという人間にしかできないものであり、これをそのままなぞったら、つまらない映画になるだろうなと」

映画『ピンクとグレー』監督 行定 勲さんインタビュー


「原作小説があるので、その存在を既に知っている観客の目線をこの映画は意識しなければなりません。ゼロから作った映画ならそのまま作品を提示できるのですが、この作品の場合、多くの観客は小説でトリックの構造を知っているのです。その状況で、原作に沿ったオーソドックスな作り方はできません。小説の持つ鮮烈さを、小説を知っている観客に対しても映画なりのカタチで生み出したかったという思いがありました」

『ピンクとグレー』を斬新なスタイルで映像化した行定勲監督 | Creative Now編集部


また、1月18日に行われた「行定勲×加藤シゲアキ×ひうらさとるトークイベント」では、加藤さんがこの作品で最初にインスピレーションを得たシーン(小説のネタバレになるので今さらですが伏せさせてください)に関して、「映画でも入れたかったけれど、とても静かで長いシーンになってしまう。そうしたらこんなにお客さんの入る映画になっていない」と仰っていました。

もしかしたら原作をなぞるだけでは商業映画として弱いと判断したという可能性もありますが、その可能性も含めて、なるほどこれは分かりやすく変更することによってヒットを狙って作った作品なんだと理解することができました。

『ピンクとグレー』が上梓されたのが2012年。
刊行直後から映画化の話は多く舞い込んできていたそうです。ですが今回のこの映像化までいくつも頓挫をし、形になることはなかった。
原作は、映像化して大ヒットの狙えるような派手な筋書きのエンターテインメント作品ではありません。作家の内省的な物語という要素も強く、映画にするとしても質の良い「小品」が適しているように思います。
そういう映画化の話も来ていたかもしれません。ですが、紆余曲折あった結果そういった路線ではなく、中規模作品としての上映となった。

「小品で良いから、作品のテーマは変えずに映画然とした映画にして欲しかった」というのはファンである私の勝手なわがままかなと思う。
それでは市場に乗せられなかったのかもしれない。その力が、原作と原作者にあると判断されなかったのかもしれない。
逆に、もっとドラマ映画的な作品になってしまう可能性だって充分にあり得た。
これが「ファンとして観たかった映画」としてのベストの形だとは思わないけれど、現状のベストの形がこれなんだと思います。

今じゃなきゃ、この座組じゃなきゃ、主演は中島裕翔さんじゃなかったかもしれないし、菅田将暉さんが演じることにはならなかった。
何度考えても私は『ピンクとグレー』の主演は中島裕翔さんがいいし、中島裕翔さんと菅田将暉さんが組んで『ピンクとグレー』の世界の中にいることを理想的だと思っているし、そして二人の仲の良さがピングレ世界をさらに広げてくれているようでありがたいです。

原作者の加藤さん本人も仰っていましたが、『ピンクとグレー』の根幹は、作中の
「その<たしかなことなどなにもなく、ただひたすらに君がすき>というフレーズは、あまりにもぴたりと僕の感情と一致した。それは恋とか愛とかの類いではなくて。」
という文章に端的に表れていて、私たちはそれを『ピンクとグレー』だと思ってるんだということを、映画を観て心底実感しました。
またまったく違う『ピンクとグレー』を観たことで、原作の根底に流れているものを改めて再認識できたことに感謝しています。


ヒットを狙って作られたのならば、ヒットして欲しいです。
そして、小説も読んで欲しいです。
たぶん、とくにアイドルを好きな人であれば、「分かりやすく」なっている映画よりも小説のほうが、何がしかの納得感を得られるのではないかなと思います。


●「3」映画としての感想
映画としてどう評価するかという話も書いたのですが、それはまたの機会に。

「たとえば『カッコーの巣の上で』みたいに『映画が先だっけ? 小説が先なんだっけ?』となるぐらいまで、それぞれが広まってくれたら最高に嬉しいです」(ダ・ヴィンチ 2016年2月号)
と加藤さんが仰っていたけれど、本当にミロス・フォアマンに撮って欲しかったなあ、というようなのが私のおおむねの感想です。壮大。



●加藤さんの映画に対する言葉
原作者の加藤さんは、さまざまな雑誌やラジオにて、ご本人の感想を、慎重に言葉を選んで述べてらっしゃいます。
そういった言葉を何度も見聞きするたびに、原作者がこんなに思慮深い物言いをしているのだから、ファンだからと言って生半可なことは言えないなという気持ちになります。(そうなることを踏まえて、加藤さんはさらに「どんな意見があっても自分は嬉しいし受け入れる」とも言い添えてくれているのですが)

その言葉は「自分はただの原作者という立場」「映画は監督と主演のものだから」「監督に預けてお任せしている」などですが、こうして発言の一部を切り取っただけでは真意は何も伝わらないので、原作者がこの映画についてどういう気持ちを持っているのか、どういう言葉を選んで公に伝えているのかについては、雑誌をぜひ読んでいただけたら幸いです。

以下がとくにオススメの雑誌です。

 

+act. 2016年2月号

プラス アクト
(現段階ですべての雑誌の中でもっとも率直な言葉が記されていると感じます。小説家・加藤シゲアキ特集)

TVぴあ 2016年1月4日発売号

TVぴあ | 最新号情報

(監督との対談)

ダ・ヴィンチ 2016年2月号

今月のダ・ヴィンチ | ダ・ヴィンチニュース

(監督との対談)

野性時代 第146号

小説 野性時代 第146号: 本|カドカワストア

(映画鑑賞後に書いた『ピンクとグレー』スピンオフ小説が掲載されています)

 

www.kadokawa.co.jp

 

pinktogray.com